6年間マネージャーをしたり、陸上で裏方としてお手伝いしていますが最初から裏方の方に興味関心があったわけではありません。
裏方やマネージャーをしていると最初から裏方やマネージャーに興味があったように思われますが、全然違います。
今回は番外編として私が裏方に興味をもつようになった出来事を話していきたいと思います。
興味のある人はよければ最後までおつきあいください。
眼中すらなかった

私がマネージャーになった理由ときっかけの記事でお話ししたように元々は選手側でした。
なので昔は裏方なんて興味もなかったし、眼中にもありませんでした。
1番輝ける選手が好きでした。
とにかく勝ちたくて、勝つため・チームが勝つために練習も頑張りました。
出来ないことが出来た瞬間・頑張ったことが勝利として成果で出る瞬間がとても好きな瞬間でした。
この瞬間のためなら人に止められるまで練習をやっていた程です。
でもこれが自分の中でも当たり前で普通でした。
そんな当たり前で普通なことが嫌で面倒になったのは小学生の時のある大会がきっかけでした。
得点することが嫌で面倒

嫌・面倒になったのは当時は団体競技で優勝したことがきっかけです。
ある大会で優勝するためにチーム全体でも頑張っていたし、私自身も自分の技に磨きをかけて勝てるように頑張っていました。
おかげでチームも優勝し、個人としても得点をあげれてチームが勝つことにも貢献できました。
私は自分が得点することが好きだったわけではなく、他の選手と助け合って協力して勝てることがたまらなく好きだったので団体競技をしていました。
それは私だけでなく団体競技として戦う人ならみんな同じ意識だと思っていたので、私個人がチームのために得点をあげることに対してなんにも思っていませんでした。
でも大会で優勝した時に同じメンバーの選手から

自分ばかり活躍しないで
なんで自分ばかり得点あげるの?
そういうことを直接言われました。
(今なら活躍を取られたことへの妬みだとわかるけど、その時はまだ小学生だったので気づけませでした)
その言葉を聞いて「チームが勝つためでも自分が得点をあげるのはダメなんだ」と思ったのと同時に

得点あげたらこんなに言われるのか・・・面倒だな。
嫌だな。
もう得点あげたくないな
とも思いました。
だから優勝後にも次の大会がありましたが、言われた言葉を思い出してしまって、前まで何度も得点をあげていた技が不調になったり、使うことへの戸惑いが生まれて使う回数を減らしました。
また自分が得点をあげなければいいと思ってカバーする側に回りました。
でも監督は勝つために私を入れていたので、得点をあげれないならと途中でベンチに下げられました。
結局1回戦で負けてその大会を終えました。
そこからは団体戦から離れ、個人主体の団体競技や個人競技をして選手を続けました。
やっぱり勝つことが好きで嬉しかったから、得点をあげてもなにも言われない個人なら大丈夫だろうと思っていました。
でもその考えは違っていました。
ただ自己満足として練習を頑張っていただけなのに、練習の結果で1番になることがあれば

成績出してないのにおかしい
ずるしている
練習しても勝てないくせに
と言われていることを知りました。
そこからもうはっきりと勝つこと・目立つこと・表に出ることが嫌になりました。
練習や部活は変わらずしていましたが1番にならないようにしたり、どんどん強い人が出てきてから1番にならないことにほっとしていました。
逆に2・3番をギリギリで競い合うことに楽しさを覚えていました。
今思えばこの時には選手として終わっていたと思います。
勝っても負けても内容重視だったから。
勝っても内容がよくないなら意味なし、負けても楽しかった・内容がよかったならよかったんです。
なので成績として残せるようなものはありません。
裏方を知った

ちょうどその頃に、 好きなアーティストがいてライブDVDを買って見ていました時期がありました。
そのDVDにアーティスの専属トレーナーの仕事の様子が映っていて

こんなにすごいアーティストを支えているトレーナーすごい!
と感激を覚え「同じようなトレーナーになりたい、陰で支えたい」と思うようになりました。
これが初めて裏方に興味をもった出来事でした。
このDVDきっかけに色々と調べて、 当時中学生2年ながら高校も専門学校もこの時点で決めました。
無事、その通りに高校進学が出来て部活にも入っていましたが、選手としての自分に見切りをつけていたのでそれなりの部活に入り、ぼちぼち活動していました。
ぼちぼち活動していたときに強制的に陸上の手伝いをしに行くことになりました。
裏方をすることが嫌だった、めんどくさとしか思っていませんでしたが、体験したらすごく楽しかったんです。
大会をスムーズに動かすために何人もの人と協力したことがすごく達成感がありました。
選手で勝ったときと似ている感じでした。
でも裏方は選手と違って自分がたくさん動いても、ファインプレーをしても文句を言われない。
むしろ「助かった」「ありがとう」と言われることばかりでそれがすごく楽に感じて、そこから手伝いをお願いされたら行くようになりました。
ここから本格的に裏方も悪くないと思えるようになり、興味をもつようになりました。

トレーナーになるなら裏方も知っておくことはいいかもと思い始め、マネージャーもしたいと思うようになりましたが、高校の規定で出来ないことを知り断念しました。
後悔爆発
高校卒業し、専門学校も無事に決めていたところに行き、トレーナーの勉強をしていました。
授業の一環として母校にトレーナーとしていくことが決定し母校に凱旋しトレーナーとして部活の参加しました。
するとマネージャーがいなかった部活にマネージャーがいたんです・・・!
なりたくても規定でなれなかったマネージャーが・・・!
トレーナーとして部活で参加しているとマネージャーと一緒に仕事をすることが多くて、マネージャーとトレーナーってなんか似ているなと思いました。
そして当時規定でマネージャーできなったことの悔しさ・後悔を思い出すことが増えていき、その気持ちは就職しても消えることはありませんでした。
のちに就職先で選手からの勧誘をうけ、マネージャーを受けることになります。
トレーナーなのにマネージャーをうけた理由

マネージャーのなったのは誘われたこと・やりたかったこともありますが、それとは別の理由があります。
それはトレーナーをすることや会社にいることが苦痛で違う場所が欲しかったからです。
新米トレーナーとして色々な勉強会や研修受けさせてもらったり、資格を取りにいかせてもらっていました。
新米トレーナーとして少しづつ結果を出していくとトレーナーだけどトレーナーじゃないような仕事もさせられるようになりました。
嫌で苦痛でしたが・・・それが会社の成績アップに繋がってしまいました・・・。
それからサービス残業が私だけどんどん増え、上司ががお金・業績重視になり、お客さんの前で怒鳴られたり、人格否定されたりとパワハラ的なことが日常的になり色々なことが悪循環になっていきました。
新しい人を入れても3か月以上続かないので、残っていれば残るほどきつくなるばかり。
で・・・精神的にダメになり辞めました。
辞めるまでの半年は週6出勤、12時間労働(給与は8時間分)、休憩15分(良くて15分×2回の30分)という状態でした。
もうすぐ辞めれる・・・って時に声をかけてくれたのがA選手でした。
少しでも違う場所が欲しくてなにも考えずに返事をして、その職場を辞めてから行き始め、6年がたったって感じです。
ちなみにトレーナーの仕事はその会社のことを思い出してしまい、恐怖しかないのでしていません。
おわりに
これが私が裏方に興味をもつようになった出来事です。
ご覧のようにトレーナーからの憧れから裏方を知り、実際に体験してハマったという感じです。
だから選手じゃない、未経験、スポーツ苦手とかマネージャーを始める前に色々考えたり、引け目を感じたりする人も多いと思いますが・・・経験者でもすごく単純なことがきっかけだったり、最初から興味があるわけじゃないことを伝えたくて書きました。
どこから興味がわくか、ハマるかなんて誰にもわからないので、少しでも興味があれば見て・調べて・1度体験だけでもしてほしいなって思います。
個人的な過去の話をここまで読んでくれてありがとうございました。
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